その日私はあまり気が進まないまま、ある将軍のお屋敷に足を運んだ。
張家の領土内にあるお屋敷に比べると大きくはないが、威厳を放つそれはただのお屋敷ではないのは私でも肌で感じるほどだ。
重々しい音を起てて開く門を前に深呼吸をする。ゆっくりと目を開け、一歩一歩進み始めた。

招かれた広間には屋敷の主と限られた人だけが其処に居た。
おじい様や蒙将軍とは違う圧し掛かるような威圧感と敵視に額から汗が一筋流れるのがわかった。
馬使いの従者以外、いつも側に居る侍女も連れずに両親や親戚が反対する中で自らの意思でこの目の前の将軍にどうしても一目お逢いしたかったのだ。

「お逢い出来て光栄です、桓騎将軍。」

袖に隠した両手を胸元で組み、一礼する。
そりゃあ、私だって両親が止めるようにこの方は元盗賊か何かで残虐な上にお国に対して特に何も思っていないと言う噂があり、あまりいい印象は持てない。兵は皆祖国の為に戦っていると言うのに上に立つ将軍が国に無関心であるとなれば確かに秦を愛するおじい様が黙っているはずがないと思う。
しかし奇策を練ってはこの将軍は幾度となく戦を勝ち戦にしてきた実績がある。それは誇りと自尊心の高い将軍には考えもつかないような策ばかりで、おじい様はよく姑息であると愚痴られていた。
おじい様の言い分もわかるが、私はおじい様が散々見下していた野蛮人の策で何度も祖国が勝利し、此度の戦も勝利出来たのではないかと思っている。そして此度の戦でおじい様は彼に最初で最期の貸しを作ってしまったのだ。

「あのオッサンの孫にしちゃァ、まともそうじゃねーか。」
上座に胡坐をかいて居る屋敷の主は片肘をついてニヤリと笑っていた。
身に余るお言葉ありがとうございます、と再度一礼する。先ほどから視線が痛いほど感じる。しかも一つではなく複数だ。

「名前なんつったけか?」「張と申します。」
「先の戦争では祖父である張唐の悲願を叶えてくださりありがとうございました。」
「まぁ、あのオッサンからすりゃ、不本意だっただろうがな。」

「ところでお前、」続かない言葉を待って居ると衣擦れの音がした。下げていた頭を少しあげると目の前に桓騎将軍が立っていた。
ひっ、と腰を引きそうになるのを堪え、目を逸らさずに将軍を見つめれば彼はくつくつと喉を鳴らせて笑った。 元盗賊とは思えない流暢な動作で片膝を立てた桓騎将軍は私の顎を乱暴に掬い上げるとニヤリと笑った。
「野郎の巣窟に女一人で来るってこたァ、どうなるかわかってんのか?」ぐっと掴まれた顎を将軍に引き寄せられる。手を添えるなんて生易しいものではなくて、本当に片手で顎骨を掴まれてる。はっきり言って痛い。
不安定な体勢もあって私の不快指数があがり眉間に皺が寄るのがわかった。余裕の表情で私を見下ろす元盗賊に向かって「いひゃいです。」と思わず言えばたちまち広間に静寂が広まった。

ガタ、と桓騎将軍の部下であろう何処の民族かわからないけど三つ編みをしたひとが立ち上がった。「お、お頭!その子面白い!」三つ編みのひとが言うとその横に居た女性が「馬鹿か。あんな態度、斬り捨てられるだけだろ。」と三つ編みのひとを坐らせた。
桓騎将軍はと言えば横目で部下のひとを見ていた私をずっと目を逸らさずに無表情で見つめている。
男所帯の家庭に産まれるも周囲は年配の方が多かったからか若い男性に耐性がないうえに、あまり認めたくは無いが将軍は端整な顔立ちをしているためこの近距離で見つめられると正直恥ずかしい。
ふい、と顎を掴まれているので動く範囲で顔を逸らすと桓騎将軍はぷ、と息をふき出して大声で笑った。

「張、気に入った。」息がかかるくらい近づいた距離にドキドキする。何が面白かったのかわからないが笑われたことによって恥ずかしさで目線を桓騎将軍にあわせられない。
「お前、俺の処に来い。」彼の弓を描く口元に視線を落としていた私は其の言葉を理解出来ず咀嚼する。咀嚼したそれに私は目を見開くばかりであった。
「いや、行きませんよ。何言ってるんですか。」思わず素が出て脳裏によく言われていたおじい様の「女子らしくせんか、馬鹿者。」の言葉が浮かんだ。
しまった、と思った頃には既に遅く、桓騎将軍はなお嬉しそうに口元を歪めて私の名前を呼んだ。
近づいてくる口元にもはや顎を掴まれているなど忘れて思いっきり将軍の身体を押し返した。顎を掴んでいた手は緩んだが、押し返した反動で不安定な体勢だった私は床にベタンとこけてしまったが慌てて立ち上がる。改めて将軍の方を見ると彼の片膝に顔をぶつけていたら鼻血が出ていただろう、大事に至らなくてよかった。ちょっと痛いけれども。
「俺はお前のジジイが言うように元盗賊だ。欲しいもんは力ずくででも手に入れる。」「覚悟しろよ、張。」不意をついたはずなのにまったくもって余裕の笑みを見せる桓騎将軍に私はカッとなって言い捨てる。「アンタにだけは絶対靡かないんだから!」広間に入った時とは別人にようにズンズンと歩みを進める私に将軍は背後から何かを言っていたが無視して屋敷を出て行く。

顔が熱いなんて恥ずかしいからだ。あんな野蛮人もう絶対に関わってやるか。私は心にそう誓い、馬車を張家の屋敷へと進めるように従者に告げた。
「あー!もう!あれが本当に将軍なの!むしゃくしゃするわ!」と張の屋敷に着くまで何度も桓騎の態度を思い出すだけで癇癪を起こす私に従者が大声を出すたびに怯えていたと言うのは後から知る話である。


四十人の盗賊とお嬢様




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