「いらっしゃいま……あら? 不二子ちゃんも?」
「出会い頭にアタシもってどう言う事よ、んもう! 失礼しちゃうわ!」
「フフ、ごめんなさい。奥、どうぞ」
不二子ちゃんこと峰不二子を一般に開放していない隠し部屋へ見送ると、マスターからの目配せを受けて私も奥へと向かった。
此処のマスターは昔、その界隈では有名な裏稼業の人間だったらしい。今は足を洗っているみたいだが、マスターの昔馴染みはよく此処に訪れる。大手を振って外食が出来ない人の為に隠し部屋も用意したそうだ。ちなみに店内での違法売買は固く禁止されている。あくまで飲食のみのご提供だ。
「お、来た来た!」
カウンターと二人掛けのローテーブルしかない隠し部屋は見知った顔が一列に並んでいた。緑のジャケットに黄色のネクタイを締めたアルセーヌ・ルパンの孫が大きく手を振って私の名前を呼ぶ。
ルパンの隣に座る不二子ちゃんへ水とお手拭きを渡し、注文を受けたカクテルを作り始める。
「で、どうしたの? ルパン」
「おー、聞いてくれっか?」
そこから始まったのはルパンによるお宝話だ。彼らの話を聞くのが昔から好きだった。不二子ちゃんのカクテルは音を立てずに出していたが、久しぶりに聞くルパン達の冒険談に心を弾んでいた。
彼らは世界中の宝を標的に世界をまたにかけて活動している。だからこの店に来るのも頻繁ではない。ふらっと現れては潰れるまで飲む日もあれば、一杯だけ飲んでさっさと帰る日もある。ましてやこの面子が全員揃う事はとても珍しい。
いつまで経っても彼らの話を待ち望んでいるのは、次はいつ会えるのかわからなかった幼心を思い出すからだろうか。
ルパンは相変わらず話し上手で飽きが来ない。まるで小説のような彼らの日常はすべてフィクションだと言われても納得してしまうほど非現実的だ。とはいえ誇張表現があるのか、ところどころ次元や五ェ門が静かにツッコミをいれられては「そだっけかぁ?」と笑って誤魔化していた。
「そういえば新聞で見たけど、カリオストロ公国でも大暴れしてたのね」
「……ああ、まあな」
ルパンが一瞬、無表情になった。すぐにへらりと笑ったルパンは気にした素振りもなく、カリオストロ公国の財宝の話を始めていた。


「んでよぉ、そのお姫様を逃がす時に"次元様〜"って呼ばれてさ。次元ちゃんったら鼻の下伸ばしちゃって〜」
「おいルパン。余計な事言ってんじゃねぇ」
「別にいいんじゃない? クラリス様?だっけ。めちゃくちゃ可愛かったし」
バーボンを注ぎ、次元にグラスを差し出すと全員がこちらを見ていた。ルパンと不二子ちゃんはあからさまに目を真ん丸にしていて、次元の表情は見えなかったけれど口がぽかんと開いているし、五ェ門も珍しく豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「お前さん、熱でもあんのか?」
「元気ですけど?」
左手を自分の額に、右手を私の額に添えたルパンが大げさな身振りで心配を口にしているが、正直全然心配しているように聞こえない。
「次元に女の影があるとすぐ拗ねる癖に一体どうしちまったんだ?」
「そうよ、口癖が“大きくなったら次元のお嫁さんになる〜! ”だったじゃない!」
それいつの話よ!と声を大にして否定したかったが、身を乗り出した不二子ちゃんに私の顎を掴まれていたので出来なかった。そのまま無理矢理不二子ちゃんの方へと力づくで向かされた。
「それともなぁに? 次元の事、もう諦めちゃったの?」
首をかしげるだけで不二子ちゃんはとても様になっていて、まっすぐ向けられた瞳は見ているだけで吸い込まれそうになる。が、顎を掴んでいる力は到底この細い指からは想像もつかないほど強く、しゃべるにしゃべれなくなっていたところをルパンが開放してくれた。
「いたた……」
「ご、ごめんなさいね。つい、驚いちゃって……ほら、ね?」
顎をさすりながら横目で不二子ちゃんを見ると、ルパン達に同意を求めるようにカウンターに座る面々へと視線を向けていた。ルパンはともかく五ェ門が「そうでござるな」と賛成していたのは予想外だ。
「で、一体どういう風の吹き回しなんだ?」
ルパンの瞳がギラつく。普段の“少しおふざけが多い優しいお兄さん(おじさん?)”のルパンとは違う眼差しに肩が飛び跳ねる。隠し部屋に妙な緊張感が漂った。
「別に……特になんでもないんだけど」
「それともあれか? 男でも出来たか?」
「そんなわけない」
「じゃあやっぱり次元の事、諦めちゃったワケ?」
「……そんなこと、もっとありえない」
この四人、いや三人を前にはぐらかすなんて出来ない。好奇心というより真剣に心配をされているような六つの目にため息をついた。


視界の端に肘をついてグラスを煽る次元が見えた。目深く被ったハットで顔が見えないしハードボイルドを体現した男が今何を思っているのかさっぱりわからない。
「好きってだけじゃ次元の隣には並べないってわかったの」
初めて出会ったのはおそらく十にも満たなかった頃だと思う。戦争孤児だった私はこの店のマスターに拾われた。名ばかりのお手伝いで初めて料理を運んだのが、このルパン一味だった。
「昔は本当に元カノの話を聞くのは嫌だったし、不二子ちゃんみたいなイイ女になればいつか隣に立てるかもって思った事はあったのよ」
それから多い時は月に一回、少ない年は半年以上来ない時もあった。彼らが一体どんな仕事をしているのかわからなかった私はおとぎ話のようなノンフィクションを語る彼らの話をもっと聞きたくて「はやく来て!」だの「もっと来て!」だの彼らに沢山のわがままを言っていた。
次元大介と言う男を意識し始めたのはいつだったか。記憶に残る親戚の大人達のように可愛がってくれていたルパン達の一括りから何故次元だけが外れたのか。大人への憧れから恋愛になったきっかけすらもう覚えていない。
ルパンから聞く次元の元恋人の話は少なくはなかった。けれどもどの話も決まって最後に「次元は相手を危険な目にあわせないように別れたんだ」と私に言い聞かせていた。好きと伝えてばかりで相手の事を考えていない私への忠告だったのかもしれないし、これから生きていくにあたって人への配慮を教えたかったのかもしれない。幼い私は次元の優しさに気付く事も無くまぶたを腫らして聞いていた。
「でも、いつまでも子どもじゃ居られないってね」
昔の様にあれこれとなんでも心の内を話す事は無くなった。女は秘密がある方が綺麗になると言ったのは誰だったか。かつて聞かされていたルパンの言葉を理解した頃、次元に好意を告げなくなった。相変わらず女の話で拗ねはするも少しずつ少女の恋は形を変え始める。
元々、ひとところにじっとしているような人ではないから、私がそんな人を繋ぎとめる事なんてできないだろう。だからせめて引き金に手を添えなくていいような居場所を作りたいと思うようになった。
「今は心許せる場所の一つに、この店が含まれてたら嬉しいの」
洗い終わったグラスを拭き取ると間接照明が淡く映り込んだ。
多分、もっと口に出して好意を伝える術があったと思う。次元の事は今も変わらず好きだ。でも焦がれるだけが恋じゃないと知ってしまった。もう、言葉にする必要がないのだ。
「何よそれ、やっぱり諦めてるんじゃない」
「諦めてないよ。拠り所になりたいなんて強欲じゃない?」
「それに居場所になりたいなんて押しつけがましいでしょう?」とお気に入りのグラスを取り出し、ランプ・オブ・アイスにバーボンを注ぐ。不二子ちゃんは腑に落ちない顔をしていたが、少し温くなったであろうチェリーを口に含んだ。


イッヒッヒヒヒ。
ルパンの奇妙な笑い声が狭い隠れ部屋に響く。当の本人は目元に手を当て、肩を震わせながら背の高いスツールをくるくると回している。
ひとしきり笑って満足したのか、ルパンがカウンターに肘をついて言った。
「なんだぁ、すっかりイイ女に育っちまったじゃねーか」
でしょ、と唇をグラスから離すと不二子ちゃんに憧れて選んだ口紅だけが色を残した。
少女は――いつの間にかバーボンをロックで飲み干せるようになっていた。