2018/04/28





今日も一人で昼食を取っているとテレビからニュース速報の嫌な音が流れた。
元々あの音を好む人はいないと思うが、旦那と結婚してからと言うもの、この速報の音がより心臓に悪くなった。
来週サミットがある建築中の国際会議場が爆発。逃走中の指名手配犯逮捕、と同じぐらい苦手な内容だ。
世間を賑わせている芸能人のスキャンダルから一変、お昼のワイドショーが忙しなく走り回る報道フロアを背景にした速報へと切り替わった。
テーブルに放置していたスマホを片手に爆発時の映像を固唾を飲んで見守る。かなりの大規模な爆発で一気に一フロアが吹っ飛んだように見える。この手の大規模な爆発関係は、旦那が関わっている可能性が高い。
仕事中は私物の携帯を一切触らない旦那であるが、やはり気がかりで直ぐに文面を作成した。

警察官の旦那と結婚して数年。何課に居るとか詳細は教えてくれない、命に支障がない程度の怪我は頻繁にしているところからして危ない事件も受け持つところなんだろうなとはいい加減察している。
去年だったか、その前だったか、観覧車の爆発に巻き込まれて緊急搬送された時は流石に肝を冷やした。
警察病室で通された一室で眠っていた旦那は鼻に固定する金属をつけていて、よく見なくてもわかるぐらい体中擦り傷と打撲だらけで、その上肋骨まで折っていたときた。部下と思われるゴツくていかにも警察官な人たちに「被疑者を観覧車内で追いかけている時にゴンドラが落ちてきて……」と何処のアクション映画だよ、と言いたくなるような経緯を聞かされた。本人は搬送されるまでは起きていたらしいが、諸々の聴取を一通り済ませると意識を失ったそうだ。幸い命に別状は無かったものの、二度とこんな事件が起きてたまるかと思ったものだ。

そんな重傷前科持ちの旦那なので、こういった速報が流れると敏感になってしまうわけである。
毎回仕事中に連絡してごめんという気持ちになりつつも、今回は特に嫌な予感がするので早めに連絡をしたのだが。
まさかこんなに早く返事が返ってくるとは。

「これは……関わってるな?」

奴の連絡からして巻き込まれているのはほぼ確定としていいはず。これは長年連れ添っている女の勘、と言うより何故か私には嘘をつくのが下手くそなのだ。その証拠として勤務時間内は昼休みでもスマホを見ないあの堅物が、こんな時間に返事をするはずがない。
きっとこの爆発に関する事で以前病室で会った人や未だに顔も名前も知らない例の上司達と現場に居たのだろう。……また怪我をして帰ってくるのだろうか。
とりあえず今回も気付いていないフリをしておくが、しばらく帰ってこれるかわからないのならばカッターシャツやら着替えを持っていくという名目で突撃で警視庁に乗り込もう。
お前の隠し事はバレている、何も言わないが心配してるんだよバカヤローと心の中で呟き、これ以上不安に煽られないようにテレビを消した。

2018/04/29



手続きをして警視庁の玄関先で旦那を待つ。外出しているとの事だったが「待ちます」と強い意志を持ってずっと待っているわけだが。
事件が昨日の今日だからか、警視庁内は忙しなく人が行き来している。大半はおそらく警察官と思われる人が中から外へ、外から中へ、もしくは建物内を行ったり来たりと見ているこっちの方が目が回る。もちろん中には私のように誰かを待っている人もいて、不安そうな表情で俯いて居る人もちらほら。きっと同じ理由で此処に来ているのだろう。

どれぐらい待ってただろうか。ようやくお目当ての男が連れられて来た。
「よっ!」と片手をあげると大して大きくもない目をかっぴらいて驚いていた。ざまあみろ。

「着替え持ってきたよ」

あと要らないかもしれないけどお弁当も作ってきた。
言いながら口を挟ませる暇もなく、百貨店の紙袋に入れた着替えのカッターシャツや下着を有無を言わさず押し付ける。慌てて紙袋を手に持った旦那に追い打ちをかけるようにもう片手にお弁当を入れたランチトートを手渡す。
コイツは押しに弱いので一度受け取ったら返しはしないだろう。両手に持った紙袋とランチトートに満足し、裕也を見上げた。
よく見なくてもおでこに打撲、頬に擦り傷。また地味に痛そうな傷を作っている旦那に一瞬だけ顔を顰めた。「しゃがんで」と催促すると、触っても特段問題なさそうなおでこの打撲を何も言わずにぐりぐりと押した。ぐりぐりされている本人はバツの悪そうな顔をして目線を逸らしていたが、隣に立っていたおそらく同僚の方はかなり驚いていた。
これだけ「私はお前の嘘を見抜いているぞ」と主張していても、まだ何も言わない裕也の態度にどんどん私の表情はぶすくれる。人間、本当に不機嫌になると気付けば唇を尖らせるらしい。多分今本当に不満そうな顔をしていると思う。

しばらくして手を離すと、裕也と視線が絡まる。わかっているのだ。心配をかけまいとしていること、そして職務上何も言えないこと。口には出せない分、目の前の男は顔に出す。
今までの周りの人達の態度から察するに優秀な警察官のはずなのに、お前ってやつは!
眉を下げ切ってなんとも情けない表情をしている旦那に、流石に私ももう嫌味の一つも言えない。

「ちゃんと持って帰ってきてね?」

にっこりと笑うと、来庁者証明を無理矢理握らせて、振り返らずに警視庁を去った。
出る時も手続きが居るかもしれないけど、心配かけさせてるんだからそれぐらいお前がやれ!
……と内心で嫌味を言ったところで、いざ会うとちょっと安心した。いや、大分ほっとした。生きててよかった、怪我してるけど。眼鏡で何となく隠れていたが目の下にクマを作っていたけど。昨日はドタバタとしていてあまり眠れていないのだろう。
ニュースでは亡くなった人も居たと報道されていた。今、奴が五体満足であんな怪我だけで済んでいたのは本当に安心した。ほんと……無事にちゃんと帰って来いよ、風見裕也!



「お前の奥さん、随分と逞しくなったな」

前に病院で見かけた時は今にも泣きそうな顔でお前を見ていたのに。 振り返ると先程の顛末を陰から見ていたらしい上司が柱に背を預けて其処に居た。
見た目の派手さとは裏腹に厳格な性格の持ち主である上司が珍しく口許を緩めている。自動ドアをくぐり建物の外へと消える後ろ姿を二人で眺めた。
無理矢理渡された両手にある紙袋と弁当、そして登庁の際に渡される来訪者を証明する徽章。突然現れては心配をしているようなそぶりも見せずに帰った自分の嫁に相変わらず頭が上がらない。……本当は心配をかけているのだろうが。有無を言わさず帰ったのは彼女なりの意地だったのだろう。
小さくなる背中を見送り、手渡された物に視線を下げる。確かに先程まで彼女がつけていたものだ。もうぬくもりも残っていないそれを見ながら「そうですね」と上司に返事をした。

「何も聞かずに待ってくれているなんて、いい奥さんじゃないか」

死角に居る上司を横眼で見ると、先ほど彼女がつけていたのと同じものが胸に付いていた。来訪者のフリをして捜査官と密会をしていたのか。
彼の仮の姿は探偵。ましてや今回の事件は師匠である毛利小五郎に疑いがある。連日警視庁で「安室透」として知り合った警察官に聞き込みするために此処を訪れるのはさほどおかしい事ではない。
尤も、毛利小五郎へを容疑者に仕立て上げたのは他の誰でもないこの目の前の上司だが。


立場上、上司は結婚とは縁遠い。彼女も居ないと以前はっきりと部下にも言っていたので間違いない。彼の性格もあるがとにかく身を粉にしてこの国を守る彼に守るべき特別な人物を作るのは容易ではないのだと思う。孤高に悪と戦うその姿は危うささえ感じる。
上司は確かに完璧と言ってもいいほどなんでもこなす。一人で生きていけるタイプの人間だと思う。
本来の立場以外に潜入捜査、そして仮の姿と三つの顔を使い分けるこの男の腹の底は計り知れない。
そんな彼も所詮は人間。あの本来の性格とかけ離れた安室透を演じているのに神経をすり減らしていないわけがない。背中を預ける事の出来る存在があれば。自分にとっての彼女のような存在が、いつか現れてくれる事をひそかに願っている。羽を休めずに飛び続ける鳥など居ないのだから。

もう一度柱の陰を見るとすでに上司の姿は其処に無い。気配無く現れては消える、まさに神出鬼没。流石は公安の鑑だ。
緊張感から解放され一つ息を吐くと、ひとまず嫁から渡された徽章を返しに足を進めた。その後は遅い昼飯であるが早速手渡された弁当を食べようと思う。

2018/04/30




今日も勤務時間内に連絡が入った。おそらく昨日のご機嫌取りだろう。しかしなぜコスドコ。
以前、私が友達から紹介をしてもらってコスドコの会員になり、その後一回だけ旦那と行ったことがある。その時に会員になったのは覚えているがなぜ今からコスドコに向かうのか。
よくわからないがいきなり言われて欲しいものと言われてもこっちは夕飯の準備もすでに終わっていて、昼間にもスーパーに行っているので特段急ぎの買い足しがない。
しかしながら……まああくまで仕事のついでだろうが、彼の好意を無駄にしたくもないので、トイレットペーパーを頼む事にした。普段使っているのと品質の差が若干気にもなるけど。
これで使いやすさが変わらないなら、次の休日にアッシーとして裕也を一緒に連れて行けばいいか。車が無いとコスドコは億劫だからね。
次がいつ休みなのか知らないけれど、二人で外出するのはいつぶりになるだろうか。裕也が帰ってきたら聞かなきゃ!
テレビもスマホも、どこの、なにをみても気分が沈むニュースばかりが流れる中、いつになるかわからない予定とは言え、ちょっとだけ楽しみが出来たのが嬉しくなった。


いつの間にかリビングで寝ていたらしい。椅子に座ったまま寝ていたので体が痛い。時計を見上げると12時を指していたが数時間前と何も変わっていないテーブルの上。手がついていない二人分の食事を横目にスマホに手を伸ばせば案の定帰って来られないと言うメッセージが。

はぁ。勝手にため息が漏れる。会えると思っていたので落胆がひどい。別に昨日顔を合わせているのでめちゃくちゃ会いたい訳では無いが、また無茶をしていないかが心配なのである。
この時間になると流石にお腹もすいていない。少しだけ夕飯をつまむと全部ラップと冷蔵庫のお世話になろう。明日の朝と昼ご飯は決まりだ。

2018/05/01



今日はゴールデンウィーク中の平日にも関わらずサミットがどうので都内は人だらけ、と言うより厳戒態勢だ。
昨日はまばらに上空を飛んでいたヘリも今日は至る所で大きな音を立ててホバリングしている。
しかもあいにくの曇り空で洗濯物を外に干す事も憚れる。大人しく室内干しをしていると昼過ぎには雨が降り始めた。よかった。

残り物の昼食を済ませ、ワイドショーをBGMに後片付けを行う。おとといぐらいから世間では眠りの小五郎こと毛利小五郎の逮捕で持ちきりだ。おんなじような話題を何度も何度も同じキャスターやゲストが話し合いをしているのを聞くのがしんどい。いい加減疲れた。一度水道を止めて違うチャンネルに変えるが何処の番組も今はワイドショーの時間帯、大体毛利小五郎の話題だった。諦めてテレビ消して、洗い物の続きをしようとリモコンの電源を押そうとした時、突然速報がなった。
「電化製品が突然発火」と言う現実味の無いニュース速報が流れ、何の話だ?と首を傾げた。次々と毛利小五郎のニュースから電化製品が突然熱を持ち発火する現象へと番組が切り替わる。
どういうことなんだろう。他人事のように思っていたがポケットに入れていたスマホが突然熱を持ち始めた。

「え、」

本当に、一瞬だった。バチッとはじけた音と共にエプロンのポケットが発火した。慌ててエプロンごとシンクに沈めたけれども服は少し焦げた。肩で息をしているぐらい混乱していたが、呼吸が落ち着くとお腹のあたりにじんわりと来る痛み。ゆっくりと焦げた服の裾をあげると案の定赤くなっていた。もしかすると水ぶくれの様になるかもしれない。洗った布巾を当てるも擦れて歩く度に痛い。しかも連絡手段であるスマホは発火した上に水の中。旦那にも連絡が出来ない。彼はまさにこの事件も捜査中かもしれないし、連絡は取れないと思うけど。
とりあえず壁伝いに固定電話のあるソファの近くまで移動し、病院に連絡をすると、タクシーで救急診療へと向かった。

大した火傷では無いと思っていたが、お腹に包帯が巻かれた。瞬間的な発火だったが、ガラケーより大きなスマホの大きさの分だけ火傷の範囲が想像以上に広くなったみたいだ。
引き攣れを起こさないか心配、と看護師さんに言われたので痕が残ってしまうかもしれないなあ。
ついでにスマホを持った時に火傷していたらしい右の中指もやりすぎでは、と言う程患部に包帯とネットが巻かれている。動かさないように固定までされてしまった。こいつも水ぶくれが出来て思ったより重症だ。
利き手の、しかも手の中心部を使えなくなってしまったので、今日の夕飯どうしよう。電車で帰ろうと思ったがなるべく患部同士を引っ付けたくはない、と言うか看護師さんに止められたのでタクシーで帰っているが、何処も彼処も件の事件で渋滞だらけだ。メーターばっかりが上がってしまう。既に行きの一.五倍ぐらいの値段になっている。お金足りるかな……

ようやく家に帰れたのが午後七時過ぎ。昼過ぎに出た筈なのになんという混乱っぷりだ。都内はサミットもあるのに大パニックだ。裕也は無事だろうか。
ぐー。外ではよっぽど気を張っていたらしい。一気に空腹が増した。しかしどうしたものか。
旦那はいつ帰ってくるかわからない。出前を取るにしても多分渋滞で遅くなるだろう。あんまり歩きたくないがとりあえず近くのコンビニで何か買って済ませるか。病院でもらった湿布やらを玄関先に置いて、靴を脱がずそのままドアをもう一度出た。

右の腰を庇いながら歩くとやはり歩みが遅くなる。腰をひねるのも痛いので今更だが看護師さんに歩くのを控えてを言われた意味がよくわかった。痛いです。
ようやくコンビニに着くと、電子レンジは使用中止だったり、ところどころ焦げきった跡があったり、監視カメラも外されていた。考えたくも無いが今このコンビニはとても無防備なのでは。それでなくても最近やたら治安の悪い東京だ。考えるだけで鳥肌が止まらないので早々に赤札がついたお弁当を二つ買ってコンビニから立ち去った。翌日の新聞で都内各地で強盗が起きていた事件を見る事になるが、この時の私は勿論知らない。

じくじくと痛むお腹のせいで家に帰るのも一苦労である。たかが徒歩十分ぐらいの道のりすら何分かかっているかわからない。
玄関に着いて電気をつけようとしたところで、スイッチに置いた手元が強張った。昼間に起きたスマホ発火のせいで電気と言う電気をつけるのが少し怖い。
インターネットもスマホが無いから見られないし、現状がわからない。電気スタンドをつけてそこから発火したらどうしよう。思った以上にものすごいトラウマを植え付けられてしまった。
懐中電灯の下、真っ暗の中で食べるコンビニ弁当は本当に味がしない。テレビもついていないのでサイレンの音があちこちで鳴っているのが聞こえる。はっきり言ってかなり心細い。
今、裕也は何をしているのだろうか。ていうか今何時なんだろう。少しぐらいならテレビをつけても大丈夫だろうか。懐中電灯を動かしてリモコンを探す。いざ持とうと手を伸ばしたところで突然玄関のドアが開いた。

!」

廊下の電気をつけて慌てて旦那がリビングに入ってきた。久しぶりに感じるLEDの明るさに目がシパシパする。
両肩を思いっきり掴まれて「無事か!?」と鬼のような形相で聞かれる。
「う、うん」と若干引き気味のまま答えれば一気に脱力したらしい裕也が頭を抱えてしゃがんだ。




全く嫁と連絡がつかない。
昼間のIOTテロの時からずっと連絡をしているが一向に既読がつかない。電話も携帯番号にかけても電源が入っていないと言われ、家の固定電話にかけても繋がらない。まさかIOTテロに巻き込まれてしまったのでは。
逸る気持ちを抑えつつ、上司の指示のもと、テロの犯人を追跡し逮捕まで至ったが、その後もう一悶着あった。
まるで映画のような救出劇であったが、それをやってのけた自分の上司といつぞやの観覧車の件でも世話になった少年は些か同じ人類なのか疑いすら持ちたくなった。自分は上司との連絡しかしていないが一刻を迫るような事件はしばらく勘弁願いたい。
事の発端であり最終地点となった国際展示場まで上司を迎えに行くとまた怪我をしていた。彼は相変わらず国の為なら自分が犠牲になってもいいと思っている。痛々しい左腕の傷を抑えながら助手席に座る上司は少し息が浅い。あの出血からして彼が言う以上に傷は深いはずだ。なるべく時間のかからないようルートを検索し、警察病院へと向かう。

「奥さん、大丈夫なのか?」

始終車内で無言だった上司が不意に口を開いた。
助手席から真っ直ぐと射抜かれる視線に思わず目線を泳がせた。この人には見抜かれている。俺の些細な苛立ちに勘付き、確信を持って聞いている。本当に、怖い人だ。

「……いえ。相変わらず連絡は取れません」

ぐっとハンドルを持つ手に力が籠った。しかしそんな私情など今は関係無い。まずはこの功労者の手当が優先だ。駐車場に停車すると助手席に回り、ドアを開けると上司はすくりと立ち上がり「此処まででいい」と言い、怪我人とは思えない足取りで颯爽と院内へ消えた。

気を遣わせてしまった。
その気持ちでいっぱいであるが、折角上司が気に掛けてくれたのだ。どうせ今日も職場に缶詰めなのは決まっている。あの言葉に甘えて一度家に戻る事にした。
腕時計を見れば午後九時を過ぎていた。相変わらず既読はついていない。 車のロックを掛けると玄関へと急ぐ。鍵を開けると玄関どころかどこもかしこも真っ暗だった。慌てて玄関から順に廊下と電気をつけ、リビングの扉を開けると真っ暗の中、懐中電灯とテレビのリモコンを持った嫁が立っていた。テーブルの上を見ると自炊では無くコンビニ弁当、やはり何か巻き込まれたのだろうか。
勢い余ってつい両肩を掴んで「無事か」と尋ねれば「うん」と応えては居たが一瞬視線が右に降りる。人は嘘をつくと視線を彷徨わせるが、彼女も例外ではない。きっと隠している事はある。
しかし上から下まで彼女を見るがひとまず外見は何もなさそうだ。大事ではないのかと安堵した。脱力し、頭を抱え込んでしゃがみ込むと頭上から「裕也も、何もなかった?」と声がする。
ゆっくりと顔を上げてと視線をあわせると彼女は右の腹を少し押さえていた。続けて彼女は「私はスマホで火傷しちゃった」と苦笑を零した。

彼女の隠し事はこれだった。
話を聞けばどうやら昼間のIOTテロでスマホが発火、エプロンのポケットに入れていたので火傷をしてしまったようだ。服の裾をめくりあげると痛々しくも包帯が巻かれていた。
それによく見ると右手の指にも包帯がある。慌てていて気付けなかった自分に自然と拳に力が籠る。此れでは上司にまたどやされてしまう。
既読がつかなかったのも、家の電話に繋がらなかったのも、全部辻褄があった。電気に怯えていた姿も。
彼女の腰に気もかけず腕を引っ張り、自分よりも随分小さい身体を抱きすくめた。
「い゛」と声にならない声を出した彼女に謝罪するとは「あはは、裕也汗くさーい」と笑い始める。しかし言葉とは裏腹に彼女の手は背中へ回った。「しかも埃っぽい」と言うのですまない、と距離を取ろうとしたがが更に密着してくる。その際に右の腹を避けていたので痛んだのだろう。
なるべく当たらないように体勢を変えて再度抱きしめる。彼女は顔を上げる事なくずっとスーツに埋もれたままだ。

「……汗臭いんだろう」
「いーよ。もう少し、このままで」

このジャケットも数日間着ているのでよれているので今更だが、背中に回っていた彼女の手に力が籠り、強く皺が入った。
彼女がこんなに甘えてくるのは滅多にない。
俺に心配をかけまいと普段は強く振舞っている事は知っている。それに後ろめたさを感じていて、どうも彼女の前では嘘の一つも上手く言う事が出来ない。それを彼女は気付いていない振りをし続けてくれる。本当に、出来た嫁だと思う。いつも無理ばかりさせているが。

今日だってそうだ。毎日使用している生活必需品で怪我を負い、誰にも連絡が取れず、挙句暗闇に一人きりでさぞかし怖かっただろう。いつでも側に居てやる事が出来ない自分を悔やむ。
しかし寂しい思いをさせてでも彼女には側に居てほしいと思うエゴを、どうか許してほしい。
不安に押し潰されそうなのに一生懸命に強がる彼女が甘えている姿に、彼女には悪いが嬉しいと不覚にも思った。自分の思いがけない独占欲に気付き、小さく自嘲した。

掛け時計を見れば午後十一時を少し過ぎ。
実は腹が減っていたとか、走りすぎて膝が笑っているとか、そろそろ職場に戻らなければ事後処理で今日も徹夜であるとか、そんな事は全て頭からすっかり抜けていた。
無事、とは言い切れないがが巻き込まれずに居てくれて本当によかった。未だしがみ付いて離れないぬくもりが此処に在る当たり前に改めて感謝した。



風見裕也の長い四日間