「今日からバベルに所属することになりました…と申します。」
賢木くんに連れられてやってきた女の子は今後賢木くんの下で働くらしい。今日はその挨拶としてあたくしの所に来たようだった。
宜しくお願いします、とお辞儀をしていた顔が前を向いたとき、私は思わず「え、」と声を零してしまった。
何が起きたかわからずに彼女は首をかしげているが、あたくしは彼女に既視感しか抱けなかった。


彼女、正確には彼女ではないけれども、その姿をはじめて見たのは雨の日だった。
その日、目的を失いそうに為っていた私は傘も差さず、途中で買った花束だけを握り締めて其処に向かった。
誰も居ない墓地をぽつぽつと歩いていると人の影があった。その人は雨の中傘を差して私の目的地である其処で立ち尽くしていた。彼女の目線には私たちの「家族」の墓石があった。
耳障りなぐらい降り続ける雨の中、彼女だけ切り取られたようにまっすぐと彼を見つめていた。
私に気付いた彼女は道をふさいだと勘違いしたらしい。後ろに下がった彼女の前で立ち止まって墓前に立った。驚いた表情を見せた彼女の方へ向いて軽く会釈をすれば向き直って献花した。

さっきまで打たれていた雨が突然止み、上を向くとその人が私に傘を差してくれていた。
しばらく経ってか細い声が私に届く。「忠士さんの、お知り合い?」悲しそうに笑う彼女に思わず目を逸らしてしまった。
「はい…えっと、その、同じ部隊に所属していて…」「と、言う事は、貴女が蕾見さん…かしら?」違ったらごめんなさいね、と微笑む彼女に私はそうです、と答えることしか出来なかった。
「あの、」「ん?」「志賀さんとは…どういう…」語尾に近づくにつれて小さくなっていく声を汲み取って、その人はくすっと笑った。
「そうね、蕾見さんが考えている通り。で、いいと思うわ。」「…少し、付き合ってくださらない?」私、貴女のお話が聞きたいわ、その人の言葉に私は黙って頷いた。
墓前から離れて雨宿りが出来るような場所に移動する。移動している間はお互い何も話は出来なかった。彼女はずっと悲しそうに微笑んでいた。

休憩所のようになっている簡素な小屋に腰を下ろすと彼女は私の濡れた髪を拭いてくれた。「これ使ってね。」渡されたタオルを受け取ってお礼を言えば「風邪なんて引かせちゃったら私が忠士さんに怒られるわ。」とその人は舌を小さく出してイタズラっぽく笑っていた。
しかしその笑みは直ぐに消えて、目線は遠く降り続く雨を見ていた。
「…今日ね、初めて来たの。」「忠士さんのお義父さんもお義母さんも私の家族も、なかなか教えてくれなくて。」
「絶縁関係だったって言うのは、なんとなく聞いていたのよ。」「私があの人と初めて逢ったときには既に不良って言うのかしら…あまり素行が良くなかったから。」
「…もっと一緒に居たかった、なあ。」「家を棄てる覚悟が…あの時あったら、」
はは、ごめんなさい。一方的に喋ったうえに泣いたりして。
その日、初めて見た笑顔以外の表情だった。ポロリとこぼれた涙は宝石のようで、彼女の清らかさを現しているよう。
「まさかこれが最初で最後のプレゼントになっちゃうなんてなあ。」財布から取り出された軍帽の帽章だった。聞いたところによると志賀さんがインパラヘン王国に行くより前に軍帽自体を渡していたらしい。ちょうど伊号を保護することになった後ぐらい、だろうか。
元々陸軍に部隊が所属しているが、いざ出撃となれば空軍と同じくコートやゴーグルを装着する。軍服は正装なので限られた中でしか着る事は無かった。そのうえ私や京介も含めて軍帽を好んで愛用しなかった隊員は多く、無くても問題は無い。
志賀さんが軍帽をかぶらないのは知っていたが、まさか恋人に形見として渡しているとは思いもしなかったけれども。

「蕾見さんに逢えてよかった。」帽章に目線を落とす彼女はちらりとこちらを向いて口角をあげた。「よく手紙に書いてあったのよ。蕾見さんと京介くんのこと。」「いつ死ぬかもわからない癖にいっつも内容は楽しそうだったの。妬いちゃいそうなぐらい。」
「…忠士さんの、「家族」で居てくれてありがとう。」ふふ、と微笑んだ彼女は何かを思い出していたのかもしれない。こんなに近くに居るのに、とても遠く感じた。

彼女と逢ったのはその日が最初で最後だった。
後日志賀さんが使っていた部屋を改めて整理していると机の奥からロケットペンダントが見つかった。あの日逢った女の人と方を並べて笑う志賀さんが其処に居た。
名前も知らないその人に届けることも出来ず、せめてでの思いで墓前に持って行った。
その後あのロケットの行方もわからなくなってしまった。もしかしたら猫や鳥が攫っていったかもしれないが、あの人の元に届いているのではないか。そんな気がしていた。


そして目の前に居る彼女はあの日に逢ったその人と瓜二つ。
「能力は、合成能力になるんですかね?電気制御が出来ます。」
バチッという音と共に現れた閃光は間違いなく彼と同じ能力だった。偶然かもしれない。超能力は遺伝ではないのだから。
「…あたくしは蕾見不二子よ。」そう言うと、今度は彼女が驚いて声をあげた。
「あ、すみません。昔おばあちゃんに同じ名前のひとと出逢った話を聞いて…」終戦より前の話なので、気にしないで下さい。慌てて両手を左右に振って否定する彼女を見てあたくしも言う。
「…いいえ、あたくしは貴女のおばあ様にお逢いしたことがあるわ。」「貴女を見て直ぐにわかったわ。あの人にそっくりね。」よく言われます、と自慢げに笑う彼女にあたくしが何故見た目が若いかを横から賢木くんが説明していた。

しばらくして皆本くん達に挨拶をしに行くとのことで賢木くんと彼女は部屋から去った。
パタンと閉まりきった扉を見送れば、ふぅと息をついて椅子に倒れこむ。目を閉じれば先ほどまでの光景が瞼に映される。
ちらりとしか見えなかったけど彼女が持っていたペンダントは墓前に置いてきたそれだった。ちゃんとあの人の手元に行き届いていたのだと安心した。
クルリと椅子を回転させると机の上にある写真立てに手を伸ばす。なんとなく、今日は少しだけ安らかな気持ちで写真を眺めることができた気がした。






菊 花 を 契 る 。