「火拳」

少し低めのアルトが一帯に轟く。ビリビリと肌を刺す声と共に真っ直ぐ横へ伸びる炎は、何十隻先まで貫通した。
残り火なのか、技の反動なのか、火の粉が彼の周りを舞い、心底楽しいと言わんばかりの笑顔がキラキラと輝いていた。その姿はさながら太陽。

よくそれを隣で見ていた。
先陣を切る事が多かったあの技を繰り出すところを、隣で。

何十隻、何百隻と、私達はそうやって船を沈めてきた。
家族に向けられた刃を叩き落としていった。
あの人の隣でそうやって過ごしていたのが、当たり前になっていた。

時には私と同じシンボルが彫られた背中を追いかけて。
時には先に敵陣に乗り込んだ私が囮になって。
時には……なんだっただろうか。

もう、隣には誰もいない。


それなのに。

なぜ重なってしまったのだろうか。
もう声すらも曖昧だったはずなのに。

視界の片隅で、炎が揺れている。



島に海賊が来たらしい、と言う話は数日前、村で買い物をしていた時に聞いていた。
店主の女性は「白ひげの娘とは言えども、気をつけなさいよ」と、まるで自分の子どもの様に心配してくれた。
この島で暮らしてはいるものの、集落の外で暮らしている。集落の外の人間である私にも気を掛けてくれるこの村の人々はとても優しい人たちばかりだ。

四皇、白ひげ海賊団、頂上戦争、最悪の世代。

私の名前は一時期、海を駆け抜けていただろう。ニュース・クーにも連日載っていたし、手配書も頻繁に出回っていたはず。そして此処は元・白ひげ海賊団の領土であり、パパの生まれた島。
まさか私を知らない海賊なんて、今時居ないだろうとたかを括っていたところはあったと思う。

買い物をして、いつものようにあの人とたった一人の肉親の墓標へ花を添えた帰り、集落から離れたひと気の無い道で件の海賊に絡まれた。
海が近い私の家はどうしても海岸沿いの道を通らないと集落へ行く事ができない。風が気持ちよく波の音も聞こえる、私としては好きな散歩コースだが、その道に下品な笑い声がこだまする。
とにかく目の前の海賊をどうやって巻こうかと必死に考えていた。
力付くで振り払う事は出来るが明日からもそこを通るので、今後の事を思うと騒ぎにはしたくない。何より通るたびに野郎の事をチラつかせながら歩くなんて勘弁してほしい。せっかくの風景も台無しだ。
いい加減しつこいので掴まれていた腕を引き寄せ、一発腹に入れて黙らせようかと思っていたその矢先。私のすぐ隣を熱風が通り過ぎた。


炎と共に聞こえた声。


残り火に導かれ、振り返った先には見慣れたシルクハットを被った男性の姿。
暗闇に溶け込んでしまう漆黒のロングコートの中には白いジャボが付いた青いシャツ、背中に背負った鉄パイプが火の粉によって鈍く光っていた。
大きな目は鋭い眼光を放ち、こちら、いや私の後ろにいた海賊達を威嚇している。海賊達は彼の正体に気付いたのか、急いで元来た道を駆けて行った。

それを横目に、私は驚きを隠せなかった。
もちろんなぜ彼が此処にいるのか、いつ来たのかも驚いているのだが、そうじゃない。

目の前の男性、サボさんが繰り出す火拳も、もう目の前で何度も見た。
同じ技でも扱う人間が違うだけで、技名すらも違って聞こえると思っていた。

はずなのに。


隣をすり抜けた炎と声は、隊長そっくりだった。
一瞬、いや、振り返るまでは耳を疑うしかなかった。

あんなにサボさんの火拳は、あの人に似ていただろうか。
心臓がいやに大きな音を立てている。あの人と、サボさんを重ねてしまった事への罪悪感からか、顔から血の気が引いていく。立っているのが、やっとだ。

「大丈夫か?」

そんな葛藤をしているとはつゆほどにも思っていないであろうサボさんが、微動だにしない私の顔を覗き込んでいた。
いつの間にか随分と間合いを詰められていた。動揺している。思わず一歩下がってしまった。サボさんと顔を合わせるのがこんなにも気まずいと思う日が来るなんて……。ぐるぐると自分への言い訳を考えて心此処に在らずな私をサボさんは首をかしげてみていた。

「いつこの島に?」
「ああ、さっき着いた!家に行ったら鍵がかかってたんでどうしたもんかと思ってたら声が聞こえてな」

話しながら、持っていた買い物袋をさりげなく奪われた。
流れるような動作に驚き、見上げるとしてやったりと笑みを浮かべていた。いつもの悪ガキサボさんだ。
海賊船で長い間育てられていた私には、いつまで経っても女性扱いされる事に慣れない。でも此処で恥ずかしがって「自分で持てます!」と言えばまた「俺のメンツをつぶす気か!」とサボさんに怒られてしまうので、素直にお礼を述べる。いつまで経っても男心は難しい。

「でも、火拳の安売りはしないでくださいね」
「お前の窮地には変えられないだろう!?」

恥ずかしさをごまかす為に話を変えた。
絡まれてるだけで火拳を出されたらたまったものでは無いと思っていたのは本当だ。しかし予想以上にサボさんの反応は鬼気迫っていて、思いっきり肩を掴まれた。

「ピンチそうに見えました?」
「……いや」

私が冷静に言うと、サボさんも自分の行動に思うところがあったのか、やりすぎたと思ったのか。バツが悪そうにシルクハットを深く被りなおした。
私だってわかっている。私は私が思っている以上にサボさんに大事にされている事。さっきだって心配で考えるより先に手が出たんだと、わかっているのだ。
サボさんは参謀総長と言う役柄に居たが、考えるより先に行動する方が実の所、性に合っている。見た目と反して随分と熱い男なのだ。
そんな真っ直ぐなところも、この義兄弟はよく似ていた。
今でこそ脳裏に誰かが過ぎる事は無くなったが、本当に似ている。誰も血は繋がっていないのに。

「でも、そういう実直なところ、嫌いじゃないですよ」

たった一言。私が言うだけで一瞬で顔を輝かせる。
そう、嫌いじゃない。むしろ好意的なのだ。

「ありがとうございます、サボさん」

それでも。
サボさんが無償で向けてくれているその思いに応えるのは、過去に囚われている以上出来ない。
何度突き放しても私に差し伸べてくれるその腕を、しがらみ無く掴めるようになるのだろうか。
海賊を追い払ってくれた事へのお礼を言うと、どちらからともなく家までの帰り道を並んで歩き始めた。
振り返って笑顔を見せるサボさんがまたあの人と重なった気がした。


彷徨う 遊 泳 者


ちくりと痛む何かには気付かないフリをするのが、随分とうまくなった。