あれはなんのお祝いごとだったのか忘れたが、旧友と咸陽で出会った。
私は王都から随分離れた田舎の村出身で、ひょんな事から村が壊滅。偶然生き残ってしまった私は人さらいに遭遇し、人生流転を巡り、後宮勤めをしている。
あれやそれやとあって大きなお祝いが宮殿にて行われ、飲み物を注いだ相手が親戚の家の奴隷だった。

私の叔父が村の長で、奴隷を二人買っていた。人さらいに連れられ、行く先もわからぬ間は彼ら二人への叔父の仕打ちを想像しては身震いが止まらない日もあった。
一人は信。私が咸陽で再会した少年だ。
そしてもう一人が漂。駆けつけた時には叔父の家で既に息を引き取っていた、私の初恋の人だった。
この二人、とにかくやんちゃで要領のいい漂とは異なり、後から来た信はとにかくよく叔父に怒られていた。
買い物の帰りに二人が剣の練習をしていたのをよく見かけたし、二人はよく口をそろえて「天下の大将軍になる」と言っていた。
何もない田舎だったが、畑を耕し、牛を飼い、そしてあの二人の練習を日が暮れるまで見る。あの景色たちは色鮮やかに彩られていたはずだった。最後の記憶は夜の闇に燃え上がる炎と、漂の亡骸だけ。

それから数年。
あの村で暮らしていた生活とは一変、煌びやかな後宮での息苦しい毎日を送っていた。
入りたての頃よりは随分身なりもよくなって、それなりの行儀作法も身に着けた。この場所ではこの二つと折れない精神が何よりの武器だ。
既に初恋の人を失っていると言う自負で固めた盾を纏い、怖い物など何もなかった。どんな不条理な折檻にも、陰湿ないじめにも耐え抜く。どうせもう少し年が経てば若さと言った理不尽な理由での僻みも無くなる。
後宮に出仕して数年が経つが未だに顔も見たことのない。そんな一介の、名も無い宮女には伽など回ってくるはずもない。根拠の無い自信を胸にやり過ごす事だけを考えていた。
……その日は唐突にやってきたのだが。
小さな灯りに揺れる姿は、漂だった。
手に持っていた書を竹簡の山へ戻すと、大王様は私を見据えた。
ひょう。
声にはならなかったが、確かに私の口元はそう動いた。
似ているだけだ。そう言い聞かせるしかなかった。
と申します」後宮に来てから身に着けた能面の笑みを作り、手を組み静かに名乗った。



「信とは知り合いなのか?」

何度目からの伽に、大王様は申された。
既に私は大王様に背を向けて眠る体勢を取っていたが、予想外の名前に飛び起きてしまった。

「この間の宴で信と親しそうに話していたのを見たぞ」

大王様は私の奇行に驚く素振りもなく、竹簡に目を向けたままだった。
それよりも私には信と大王様のつながりがいまいち見えてこない。
確かに聞いた話では信は今何千人をも束ねる兵になっているらしいので、会話をした事が無い訳ではないと思うけれど。

「信とは、同じ村にて育ちました」
「アイツが奴隷出身だと言う事も?」
「はい。信はわたくしの叔父夫婦の元で働いておりましたので」

大王様が其処まで信についてお詳しいとは思いませんでした。
そういうと顎に指を添え、大王様は書から目を離し少しばかり思案される。

「では、漂の事も?」

決定打、だと思った。
決して鋭い目つきをされているわけではないが、大王様の視線が私の奥深くまで刺さる。
初めて大王様とお会いした日に雷が落ちてからと言うもの、何度伽に呼ばれても極力目を合わせないようにしていた。
そもそも天と地以上も違う身分で目を合わせると言う行為ですら不敬と大王様から言われてしまえば私の首と胴体は繋がっていない。ある意味目を合わせない理由は沢山作れたのだ。
不意に合ってしまった目を逸らす事も出来ず、久しぶりに聞いたその名前に動揺を隠す事すら出来ない。息を吸うように取り繕うのがうまくなっていた筈なのに。

「……はい。漂もまた、わたくしの叔父の元で」
「そうか」
「大王様は漂が死んだ事も?」
「……ああ。信からな」
「どのような繋がりかはともかく、信とそれほど仲がよろしいとは」

平静を取り繕い、飛び起きてすっかりめくれあがってしまった掛布を元に戻す。大王様の足元まで見えてしまうほど勢いよくまくりあげてしまったようで、謝罪を述べた。

「懐かしい名に取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。
 わたくしは先に眠らせていただきますので、どうぞ大王様もほどほどに」
「此方こそ驚かせてすまなかった」
「いえ、ごゆっくりお過ごしください」
「次は信の話で一晩過ごすか」
「御冗談を」

失礼いたしますと寝台にひれ伏して一礼する。
本来は大王様に背を向けるなど無礼であるが、何をされているか詮索をしては大王様も落ち着かないだろうと背中を向けて眠る。微睡む中で大王様が何かを言われていたと思うのだが、寝ぼけた頭では到底理解が出来なかった。

その日は牧草地で手作りの木刀で鍛錬をする少年達の夢を見た。


残映


「この安息が消えるのが惜しくて嘘をついた」

後宮での勤めが厳しいのか今日も彼女はすぐに眠りについた。
読んでいた書も頭に入らず、背中を向けて眠るに目を移す。表情は見えないが穏やかな寝息を立てて眠る姿に自然と口角も緩み、そっと頭を撫でた。
出自は低い事や身売りをされて後宮にやってきたと聞いてはいたが、まさか信達と旧知とは。
先日の宴席で信が大声をあげていたのが目につき、何やら親しげにしているが、貂が加わっているわけでもない。信が兵を一人呼ぶとその男とも親しげにしており、おそらく出身なのだろうと推測した。
整えられた髪型を容赦なく信に撫で崩されているにも関わらず、は随分と気を許した笑みを浮かべている。それは自分の知る彼女では無かった。

初めて伽に選ばれた日はひどく動揺していたのを思い出す。
声にならず口許だけ動いたその言葉は、今思えば彼を指していたのだろう。
お前の安息を奪ったのは俺なのに、俺はお前を安息として此処へ縛り付けた。

「すまない、