しんしんと降り積もる雪を見上げて、女は「はぁ〜年が明けましたねぇ〜…」と自らの息で悴んで赤くなった手のひらを温める。 「雁門は相変わらず、寒いですねぇ〜…」息はいつも白いですぅ。その女はしばらく城門の上から遠くを見つめていた。 どのくらい経ったのか、気付けば雪も止み始めた頃、「あ」と声をあげると何かを見つけたのか、突然門を駆け降りる。 「おかえりなさいっ!李牧様!!」息を弾ませて言うと、馬から下りたばかりの李牧の胸に飛び込んだ。李牧は女が飛び込んだところで均衡を崩すことなく、女を受け止めた。 「…ただいま帰りました、。」 邯鄲に召集をされていた李牧を出迎えたを見て、李牧の背後に控える側近たちは自然と頬が緩ませる。心なしか、李牧本人もいつもよりやさしい笑みを浮かべていた。 李牧一行が雁門に帰還したと言う知らせが知れ渡ったのは彼が戻って直ぐの事であったが、新年と李牧達の帰還を祝う宴の開始まではしばしの時間が必要であった。 この空いた時間は一般兵を含め帰郷した全ての人々は各々の時間を楽しんでいる。 李牧はと言えば私室で奥方のと束の間のひと時を過ごしていた。 普段も李牧は執務に追われる事が多く、共に過ごす時間が少ない分、この貴重な機会を逃すことなく二人きりの時間を送っていた。 「予想外に長引いてしまいましたね…」 「そうですよぉ〜…年が明けてしまいましたよぉ…」 李牧の背に腕を回したまま彼を見上げるは少し唇を尖らせて言う。それを見た李牧は眉を下げる。 「年越しを共に過ごせなくて残念でしたか?」との頭をそっと撫でると、違いますよぉ〜…と拗ねた声では答えた。 「折角…李牧様が帰ってこられたのに、年明けどころか寒食の時期に入ってしまったので…温かい食事を出すことが出来ないじゃないですかぁ〜…」李牧様が帰って来られる日だけは給仕の皆さんに私も手伝わせてくださいって言ってたのにぃ… そう言うと李牧を見上げていた顔は俯き、背に回していた腕に少しだけ力を込めた。 寒食とは、韓・魏・趙の三晋と呼ばれる地域がまだ晋と言う一つの国であった時に始まった習慣の事である。 焼死した良臣を労う事から火を使用する事が許されないこの時期は特に冬が厳しい雁門などの北方地域では体力の無い子どもや老人が冬を越せない事も、少なくは無い。 李牧自身、自らが治める土地での死者は少ない方が良いと勿論思っているのだが、根強く続く習慣だけになかなか禁止と言えずに苦労していた。 民衆への配慮で難題としていた問題が、此処にきて家中の問題になるとは思っても居なかったわけだが。 李牧は自分に抱きついたまま肩を震わす愛しい妻を見やる。きらりと目元が光ったのは見えないふりをした。 寒食の時期は食事はあらかじめ用意しておいた料理を食し、夜の闇や冬の厳しい冷えにも松明を灯す事が許されない。 は邯鄲から更に北方の雁門に帰って来た李牧に対して、労いの言葉はかける事が出来ても、暖かい食事や部屋を用意する事が出来ない事を悔やんでいるのだ。 それを汲み取った李牧は彼女の背にそっと手を回す。自分の妻ながら、本当によく出来た妻だと歓心のあまり口元が緩むのが李牧自身もわかった。 李牧が「気にしなくてもいいんですよ。」と優しく告げると俯いていたの顔がゆっくりと上を向き、李牧と視線を絡ませる。不安げに眉をしかめる彼女の不安を和らげるようにふわりと微笑んだ。 「寒食であろうと宴は今から行なわれますし、暖かくなくても美味しい食事が待っています。」 「それに、」 「火を使えない分、こうやってと暖まる理由を作る事も出来ます。」 李牧はそう言うとの片腕をひき、自分に抱きついていたを自らの腕に抱きすくめた。彼女の腕を引いた腕とは反対の腕での頭を引き寄せ、逃げる場所を与えないようにすると、は腕から逃れようと頭を軽く動かしたが、逃げる隙はなかった。 の顔は見えていないものの、うろたえている様子は目に浮かぶ程であり李牧を余計に喜ばせるだけであった。 「李牧様ぁ…わたしをからかって居ますねぇ〜…」羞恥によって震える声で言うに、「いいえ、愛しい妻への愛情表現です。」と言えば続けて「今年の寒さはこれでしのげますね。」とあっけからんと言う。 普段より過剰な愛情表現に李牧を尋ねて来たカイネが訪れるまで、は羞恥の悶絶を彼の腕の中で何度も繰り返させられるのであった。 |