数年ぶりに再会をした鈴木財閥のお嬢様、鈴木園子ちゃんとそのお友達の毛利蘭ちゃん。
すっかり女子高生が様になっている二人に、オススメの店があるからと着いた先は蘭ちゃんの家の一階にある喫茶店。昔からあるお店なのに今更、と思っていたら、新しい店員さんがイケメンで、さらにその人が作るサンドイッチがとてもおいしいらしく、ぜひ食べてほしいとの事だった。

午前十一時過ぎ。
朝ごはんはすでに食べているし、お昼ご飯と言うには少し早い。サンドイッチならちょうどよさそうだ。
二人に連れられて店の中に入ると、どうやら噂の店員さんがお出迎えしてくれたらしい。
園子ちゃんの嬉しそうな声に顔を上げると見知った顔が目の前にあり、動揺が隠せなかった。
二人とも目の前の彼を見ていたからおそらく気付いてはいないだろう。 でも目の前の彼には間違いなく見られた。
それでも彼は口を挟まずに笑顔を貼り付けたまま、園子ちゃんに紹介をされていたので、私も彼の事を知らないフリをしようと決め込んだ。

「よろしくお願いします、さん」

にこやかな表情は私の知っている「安室透」とはかけ離れていた。私を見ても眉一つ動かさない表情からは彼の心は全く読めない。

彼は当時からとても優秀な人だったと思う。彼と一緒にいた時間は決して長くは無かったけれど、その多彩な才能、膨大な知識、どれをとっても新人と一括りにするには全てが逸脱していた。
そんな彼に唯一、人間らしさがあったと言えば少し熱くなりやすいところだった。
私が「それは安室透じゃなくて貴方だよ」と指摘をするとよく唇を尖らせて、何かと理由をこじつけて指摘を否定しようとしていた。まあ、その姿もまた様になっているのだからイケメンと言うやつは面倒だ。
そんなムキになりやすかった、意外と顔に感情が出やすかった彼はもう其処には居ない。

あれから数年。
文字通り、彼にはこの数年間に色々あったのだろう。
その出来事一つ一つが彼を強くし、彼を苦しませ、経験となり、彼から人間らしさを無くした。

「こちらこそ、よろしくお願いします。安室さん」

しっかりと目が合ったまま、彼に倣ってほほ笑む。二回目の初めましてはお互い初対面を装い、波風も立たずに過ぎていくと思った。

「と、言うよりはお久しぶりですね。僕のこと忘れてしまいましたか?」

肩をすくめ、困ったように眉をハの字にして笑う目の前の男。どう考えても今の流れは初対面の挨拶を済ませて、店内に案内する流れだっただろうに。

彼の職業上、彼が「安室透」と名乗っている限り、初対面を装う方がてんで都合が良いはず。なぜ彼は突然他人のフリをやめたのか。
予想していなかった行動に言葉が出ない。明らかに挙動不審な私を目下にしても男は変わらず涼しげにほほ笑むだけ。
人間驚き過ぎると本当に言葉が出ないらしい。喉からひゅ、と音が出るがどう答えればいいのかわからず視線を彷徨わせていると、隣から助け舟が出た。

「安室さん、さんと知り合いだったの!?」

野次馬心をくすぐったのか、園子ちゃんが横から顔を近づけてきた。
男の発言然り、この質問然り。返答には慎重になった方がいいはず。彼が何を考えているかわからない今、結局どう答えたらいいのかわからない。
園子ちゃんの方に顔を向けていた私は、横目でちらりと件の男を見たがニコニコと静観するのみ。
頭の何処かでせっかくの助け舟に掴れずに水に沈む自分が想像できる。現実逃避、そして万事休す。
縋る思いでもう一度彼を見た。ばっちりと目が合うと、笑みを深くして爆弾を落とした。

「ええ、元カノです」

さりげなくウインク付きで放たれた言葉に店内が静まり返る。その数秒後には至るところから悲鳴が沸きあがる。例に漏れず隣にいた園子ちゃんも耳がキーンとする大声をあげていた。

目の前の男は何を言っているんだろう。
まるで矢でも刺さっているような、私を見定める視線を全身に浴びる。 今すぐこの店を出たい。
目だけを動かしてぐるりと店内を見渡せば、カウンターに少し男性がいるものの、大半は女性だった。この居づらい空気、刺されるような視線から早く解放されたい。
数年ぶりに再会した彼の意図が分からないまま、ようやく四人掛けのテーブルへと案内された。

席に案内されてからも店内は絶対零度に冷え切っていた。肩身の狭いこと狭いこと。
声一つ出せない状況に蘭ちゃんも園子ちゃんも困惑を見せていた。

そんな店内にドアベルが鳴り響く。
止まっていた時間がようやく動き出したのか、こっちを見ていた人の一部、とりわけカウンター席の男性客が新聞を読み始めたり、カウンター内に居る女性の店員さんと途中まで話していたであろう会話の続きを始めた。

「やあ、いらっしゃい。コナンくん」

彼が目を向けた先には小さなお客さんがいた。
メガネをかけた小学生ぐらいの男の子は私たちが座っているテーブルにまっすぐやってくると、当然の如く蘭ちゃんの隣にひょこっと座った。

「ねえねえ、お姉さんだあれ?」

少し舌っ足らずな口調で男の子が言う。くりくりのお目目に少し首を傾けている姿がとても可愛い。
君も誰?と反射的に言いそうになったが飲み込んだ。

「はじめまして、って言います」

一瞬、此処が店内と言う名前の戦場だと言う事を忘れていた。うっかりフルネームで名乗ってしまった。名乗ってから気付いたが相変わらず店内の視線は私に注がれていた。
名前から全てを特定されてしまったらどうしよう。いや、おじいちゃんの段階で今更か。再炎上の予感。

お姉さんね!僕、江戸川コナンって言うんだ!よろしくね!」

よろしくね、コナンくん、と言った私の笑顔は引き攣っていなかっただろうか。

安室透がコナンくんのおしぼりを取りにテーブルから離れた。ようやく息が吸える。
彼が居ないだけで少しばかり和らいだ空気に大きく息を吐いて水に手を伸ばそうとしたが、

「ちょっとさん!どういう事よ!安室さんの元カノって!」

と肩をひっつかまんばかりに迫られ、慌てて水から手を離した。園子ちゃんの勢いが怖い。

「え、えーっと……」

目を泳がせて園子ちゃんの視線から逃れようとしていると、頭上から声が降ってきた。

さんとは学生時代、少しだけお付き合いしていたんですよ」

ね、と相槌を求める声に少し眉を顰める。
きっと貼り付けた笑みを浮かべながら私を見下ろしているのであろう姿が想像できて、上を向いて目をあわせるのも癪に障る。
そもそもお付き合いなんてしてましたっけ、と言ってやりたいところだが、実際「安室透」は確かに彼氏だった。
しかし彼はその時もう学生ではなかったし、本当に付き合っていたわけでもない。それを一番知っているはずの彼がそう言うのだ。もはや罰ゲームか?
最後の最後に職場まで押し掛けた事でも根に持っているのだろうか。



彼――安室透もとい「降谷零」との出会いは数年前。祖父は当時の内閣総理大臣だった。
当時の私は花の女子大生。恋の一つや二つぐらいはできるのではと楽しいキャンパスライフを待ち望んでいた。
しかし実際は女子大と言うのは大した出会いも無く、挙句おじいちゃんの政権が上手くいってないとかなんとかで、毎日ネット上では誹謗中傷が私にも飛び火してるわ、いつ撮ったんだという隠し撮りまであがっているわで気が休まる日は無かった。
精神的に参っていたところもあるが、基本的にはおじいちゃんが総理になった段階でプライバシーなんてないだろうと高をくくっていたので、ある程度は流していた。結局のところ平凡すぎて詮索されても何も出てこないし。
それに身辺警護は一応プロを雇っていたので、本当に自分に害を及ぼす状態になったらプロがどうにかしてくれるだろう、と呑気にも思っていた。
変なところで楽天思考だなと当時も彼に言われてたっけな。

そんな中、とあるテロ未遂事件に巻き込まれた。
内閣総理大臣への犯行声明文は広範囲でのテロが予告され、例外なく一緒に住んでいる家族の私達も保護対象になった。
事件の詳細は今でも公にされていないし、当事者である私達も詳しくは教えてもらえなかったが、既に私達の身辺については調査済みの可能性があったらしく、テロ予告日時まではいつも警護してくれている民間会社ではなく、警察官が私達の身辺警護も引き受けてくれていた。そこで出会った男こそ、目の前で笑みを絶やさないこの男である。
当時は新人警官で、頭はとても切れる男だったが性格に若干難ありと言った、それでもその難すらえくぼにしてしまうようなとにかく凄い男だった。
まあ、性格に難ありなのは今も変わらないのかもしれない。今の状況で、私がどんな反応をするのかを楽しんでいるとしか思えない。
降谷零と言う男は決して用も無ければ笑う事は無い仏頂面だったし、一人称も俺だった。が、彼を降谷零と呼んだのは最初と最後だけだった。彼氏のフリをして警護をするにあたって偽名を呼んでいたからだ。

その名前こそが、「安室透」。

忘れもしない、私が「安室さんって外見だけは王子様みたいだよね。性格はてんで鬼だけど」と言ったのをきっかけに理想の彼氏像もとい「理想の安室像」を二人で作り始めた。……その結果がこれか。

確かに、当時の私が言っていた理想を具現化した男が目の前に居る。寒気がするほどに言っていた通りの人間が。
思わずジト目で彼を見そうになるが、今は視線すら合わせたくもない。彼がずっとこっちを見ている視線は感じるが知らないフリをする。

「学生時代って事は、安室さんと同じ大学だったの?」

彼の言葉はスルーしてくれるとありがたかったのに、コナンくんはずいぶんと頭の切れる子のようだ。
さっきのくりくりお目目とは一転、見透かすような視線で私を見るコナンくんに動揺が隠せない。さっきまでの癒し系ボウヤは何処へ。

「いや、学校は違うよ。人の紹介でね」

平然と笑みを浮かべて嘘を並べる安室透と言う男に、やはり昔の面影はない。再会した段階でなんとなくわかっていた事であったはずなのに数年と言う時間を感じて寂しさがこみ上げた気がする。
あの頃の淡い思いなんて、とっくの昔に置き忘れてきたのに。

「先輩が彼氏の友達を紹介してくれたの。それに私、女子大だったから同じ学校にはならないよ」

当時のすっぱい思い出がぶり返したのか、思わず安室透をフォローしてしまった。
へえ、そうなんだ。と言っている割に納得していないであろうコナンくんに脈拍が異常上昇している。
問い質されているような鋭い視線から逃れるために視線を安室透が運んできた水へと落とす。

そもそもあの頃の思い出がぶり返そうがなんであろうが、向こうはあの降谷零だ。
イケメンで、なんでもできて、頭も良くて、その上公務員。文句なしの良物件だ。今はもうアラサーだろうしとっくに結婚しているに決まってる。 そう、なるべくそういう話は考えないようにしよう。



突然の再会……しかも最悪としか言えないこの状況で、ついムキになってしまった私は一回りほど違う女の子たちに注文をまかせっきりにしたダメな大人である。
あの顔を見るのも、周りの視線も本当に不愉快だ。
なんであのまま良き思い出、そんなこともあったねえ……で神様は済ませてはくれないのか。こちとら彼にフラれている側だ、気まずいに決まってる。

注文を通しに厨房へと安室透がテーブルから離れた事をきっかけにピリピリと肌を突き刺していた視線は幾分か落ち着いた。さっきよりも大きなため息をつく。とりあえず今、この状況をどうにか打破しなければ。噂のサンドイッチを食べたら帰ろう。
園子ちゃんと蘭ちゃんには悪いが長居は無用だ。別の日に別の場所で出来ればゆっくりとしゃべれるところで再会を喜びたい。
せっかく園子ちゃん達と数年ぶりに再会できたのに素直に喜べない状況にもう一度ため息をつく。あからさまに一気に疲れを見せた私を気に掛けてくれているのか、二人はあたりさわりのない会話を続けてくれた。するとコナンくんがまた私に質問した。

お姉さんは……ゼロのにーちゃんの事、どこまで知ってるの?」

ゼロのにーちゃん。さっきまでの話の流れからして安室透の事であろう。 しかしなぜゼロなんだ、トオルだからどちらかと言えば十ではないか?

0、ゼロ、ぜろ、零。……零?ん?ゼロってレイ?

ぼーっと天井を見ながら考えていた私はその思考にたどりつくと慌ててコナンくんを見た。
ばっちりと視線が絡む大きなお目目は先程と変わらず鋭い。この子、本当に小学生なのだろうか?そして安室透の何を知っているのだ。

「こ、コナンくん、ゼロって……」

おそるおそる目の前の少年が何を知っているのか、確認したくて問おうとしたらサンドイッチを運んできた安室透に遮られた。
コナンくんは不服そうであったが、安室透が軽く耳打ちをすると驚いた表情で彼を見上げた。その姿を見ても何も言わずほほ笑んでいた。コナンくんの表情に満足げな安室透は私を一瞥すると、また別のテーブルへと注文を取りに行った。

「そういえば今更だけど、お姉さんと園子姉ちゃんたちってどんな関係なの?」

運ばれてきたサンドイッチに手を伸ばしたコナンくんが尋ねる。そりゃあそうだ。私はアラサー、あの子たちはまだ花の十代だ。

さんとは園子を通じて知り合ったんだけど、簡単に言ったらさんもお嬢様なの」
「園子ちゃんのおうち程じゃないけどね。しかもうちはもう一介の議員でしかないし」
さんには小さい頃からパーティーとかで遊んでもらってたのよ〜!
おじい様が退陣されてからは社交界で会わなかったんだけど、この間久しぶりに出会って連絡先も交換したの!」
「この間はお母さんの代わりでどうしても出て欲しいって言われてね……でも園子ちゃんに会えたし、しかも今日は蘭ちゃんにも会えてほんと嬉しい!」

安室透の事はひとまず置いておくとして、この再会は本当に心の底から喜んでいるのだ。
不機嫌だったのも忘れてサンドイッチを頬張る。
あ、おいしい。

「園子ちゃんと蘭ちゃんってもう一人男の子もよく一緒に居たよね?たしか新一くんだったっけ?」
「あの推理ヲタク、今どこで何してるかわかんないんですよ!蘭の事ほったらかしにして!」

ぷりぷりと怒る園子ちゃんを当人である蘭ちゃんがなだめる。そしてなぜか目の前のコナンくんが冷や汗をかいていた。

「そういえばコナンくんって新一くんの小さい頃に似てるね?もしかして親戚?」

一つ目のサンドイッチを食べ終え、コナンくんと蘭ちゃんを交互に見るとアイスティーのストローに口をつけた。

「ぼ、ボク、新一兄ちゃんの遠い親戚で、家族みんな遠いところに居るから蘭姉ちゃんの家に住ませてもらってるんだ!」

さっきまでの見透かすような視線から一転、彼もどうやら何か秘密があるのではなかろうか。この動揺っぷりはきっと何かあるに違いない。とは言え小学生に一体どんな秘密があるのか……。
蘭ちゃんが初恋の相手とか?一つ屋根の下に住んでるわけだし、ありえない話でもないか。
焦っているのか身振り手振りが大きい、年相応に見えるコナンくんが可愛くてアイスティーを飲み干すまでさっきより随分可愛げのある少年を観察した。



この空間に居たくないと思っていたのは初めの数十分だけで、やはり数年ぶりの再会はとても楽しいものだった。
蘭ちゃんと新一くんのラブロマンスだったり、園子ちゃんの恋の行方。そしてコナンくんたち少年探偵団の活躍。
話は尽きないもので気付けば閉店時間となった。昼前から居た筈なので一体何時間話していたのか。
園子ちゃんがメインでずっと話し、蘭ちゃんが少しフォローや補足をし、私が相槌を打つ。
私の話なんて大した内容が無かったが、三人の話はとにかく内容が濃い。
目の前のボウヤはあの怪盗キッドと頭脳戦をしているとか。よく園子ちゃんの家がテレビに映っているとは思ってたけど、あの宝石たちを守っているのがこんな小さな子なんて。
積もる話は沢山あったが、今日のところはこれでお開きとなった。また次回会う予定を話しつつ、レジまで向かう。

「今日は私が出すから!こんな時間まで拘束しちゃったし」

と、財布を出すと三人は口々にお礼を述べる。高校生にこんなところでお金を出させるわけには行かない。仮にも私は社会人だ。
私たちと安室透しか居ない店内に、話し声とレジを打つ音が聞こえる。

「そういえばさんの話は聞けなかったんだけど!今は彼氏居ないの!?」

まさか帰り際になってこの話を聞かれるとは。
残念ながら今は居ないよとレシートを受け取りながら答えると、レシートが動かなかった。はて?
レシートを見ながらもう一度レシートを受け取ろうとするが安室透が掴んだまま離さない。どういうことだと思って顔を上げるとまっすぐこっちを見る安室透と目が合う。
こんな近距離で彼と顔を合わせるのはあの頃以来だ。年齢より幼く見える整った顔を真正面で見るのは、さすがに久しぶりすぎて心臓が跳ねる。この男、相変わらず顔がいい。

「な、なんですか?安室さん」

黙ったまま私を見つめる安室透に園子ちゃんたちも何が起きているのかわからないと言った様子で心配そうに私たちを見ていた。

「じゃあ、まだ僕にもチャンスはあるってことですか?」

まっすぐと射抜かれたまま、安室透は口を開いた。
私は、何を言われている?
目を見開いたまま動けない私を余所に、外野の高校生たちがざわめく。
どうしてだ。どうして今なのだ。
決してときめいたからではない、どきどきと早くなる心臓の音に嫌な予感しかしない。

「僕はまだ、あれで最後だったとは思っていません」

声を出せないほど驚いている私に追い打ちをかける。あの時、「“降谷零”に会ったらよろしく」なんて遠回しにフッたのは自分のくせに、自分のくせに!
そう怒鳴ってやりかったがぐっと堪える。あの時の事はたとえ園子ちゃんたちの前であったとしても公には出来ない。
目の前の男は平気で嘘を吐く男だ、惑わされるな。お前の知っている安室透じゃない。
自分に言い聞かせるも、安室透に浴びせる罵倒は出ない。何か言わなければ、そう思って視線を左右にさ迷わせた。
今日は久しぶりにあった園子ちゃんたちに随分と情けない顔ばっかり見せている。

「すみません、困らせるつもりではなかったんです」

平然と、眉を下げて笑う安室透と言う男が怖かった。
あんな大勢の前で元カノと言ったり、さっきから彼が考えている事がさっぱりわからない。
なんで私は彼の演技に巻き込まれているのか。

ようやくレシートから安室透の力が抜けたので、財布にそっとしまう。園子ちゃんたちが何かを言っているが外野の声は全く耳に入らない。
なのに彼の声だけは鮮明に聞こえていて、「車で送ります」と言われたのはしっかりと聞こえた。
断ろうとしたのに園子ちゃんたちは早々に退散してしまって、最後に扉を閉めたコナンくんが一瞬だけ見せた鋭い目つきだけが残った。
一体あれがどういう意味だったのか考えているうちに安室透は店仕舞いを終えていて、されるがまま、駐車場へと連れて行かれた。



あの頃とは違う、どう見ても高そうな車。
「家は以前と同じで大丈夫ですか」とシートベルトを締めて言う安室透に「はい」とだけ返答した。

しばらく沈黙が続く。街灯の光が一定間隔の明暗を作って流れていく。
沈黙は別に不快でも無く、捜査の為に彼氏のフリをしただけの私に何故此処まで演技をする必要があるのかを考えるのには丁度よかった。
まあ、考えたところで彼の思考が理解できないのは分かりきっていたけれど。

「安室さんは、変わりましたね」

なぜ言ったのか分からないが、口からぽろりとこぼれた。タイミング悪く赤信号で車が停止し、わざとらしく目を丸くした彼が私の方を見たのが窓越しに見える。

「……そうですか?」

口許だけ弧を描くその笑みはまるで能面で、感情は一切見えなかった。
それに気付かないフリをして、窓の外を眺めながら「安室さんは、ですよ」と少しだけ言葉を強くして言うと信号が変わる。
安室透は私のキツい口調も気に留めず「そうですか」とだけ言ってアクセルを踏んだ。
私の言いたい事はきっと伝わっているはず。

そう。変わったのは安室透だ。
目の前の彼はまさに「理想の安室透」そのもの。
見た目は文句なしのイケメンで、気性が激しく無くて、いつもにこやかで所作が綺麗。
いつぞやの夢見る夢子が考えた理想の王子様。血の滲むような努力を積み重ねて、悲しい事も、苦しい事も、悔しい事も、辛い事も全部乗り越えた先に生まれた人格なのだろう。
もう降谷零の面影は其処に無い。

見知った交差点を通り過ぎると、そろそろ家に到着する。安室透に家まで送ってもらうのは何年ぶりだろうか。
記憶力のいい彼の事だ、うちまでのルートを覚えているなんて苦でも無いのだろう。迷う事なく我が家の前でハザードランプを灯して停車した。
シートベルトを外して「ありがとうございます」とドアに手をかけようとしたところで安室透に反対側の手を掴まれる。レシートの時と言いなんなんだこの男は。あんなに完璧な王子様を繕っている癖に、さっきから力の入り方が異常だ。

ドアから手を離すと安室透に向きなおる。
にっこりと嫌味たらしく笑った安室透はたっぷり間を置いてから、

「貴女は変わりませんね」

と言った。
どうやらさっきの仕返しのようだった。
ぐっと眉間に皺を寄せて安室透を見るがさほど効果も無く、いい加減離せよと念を送るしか出来ない。仕方ないので安室透が起こす次の行動を待った。

「ただ、変わったと言えば、今の貴女は少し隙がある。
 気を付けた方がいいですよ、男はみんな狼ですから」

口許を歪めて笑う能面は掴んだ腕を引っ張った。急に近くなった距離と、不安定な体制に思わず「うわ」と声が漏れた。
まさかこの男にこんなからかい方をされるとは思わなかった。私の好きだった正義感に溢れた真っすぐな瞳を持った彼が頭をよぎった。
ああ、もう本当に、彼の面影はない。

あの別れから随分と強くなった。メンタル的に。社会人になってからたくましくならざるを得なかった。
カッとなって空いた手で張り倒してやろうかと思った。私だってあの頃の私じゃない。
掴まれた腕を思いきり振り回して安室透の腕を振り払う。
振りほどかれるとは思っていなかったのか、動けないままの安室透を横目に思いっきりドアを乱雑に閉めた。
そして振り返る事なく大股で玄関までの短い距離をズカズカと歩き、扉の中へと消えた。

悔しい!悔しい!
今日の顛末を思い出せば思い出すほど胸が高鳴る。向こうは私の反応を楽しんでいるだけだとわかっているのに、再会してこんなにかき乱されて……悔しい。
あの男にとっては仕事の一環に過ぎなかったであろうが、こちとら一生に一回あるかないかわからないような事件をアンタと共に過ごしたんだ。
吊り橋効果とはよく言ったもので、本当に厄介な感情が胸を圧迫している。

いい歳した女が今になって甘酸っぱい記憶に振り回される。
思い出すのは数年前、安室透ではなく最後に会話をした降谷さんの顔。奥歯を食いしばっていたあの表情。降谷零の面影を求める事も許されない、安室透の完璧な演技が脳裏を掠めるだけで胸が詰まる。

振り回されるな。今日何度目かの自己暗示も効果なく、自室の扉を閉めた瞬間に溢れる涙。
拭っても拭っても出てくるそれは、安室透との再会の喜びなのか、降谷零ではない悲しみなのか。
自分でもチョロい女だと思ったが、感情に蓋をするかは考えるものの、何故か安室透と二度と会わないと言う選択肢だけが抜け落ちていた。

安室透との再会劇は、最悪なプロローグと共に幕を開けた。


とある男女のファンファーレ